高齢者の股関節骨折における治療とケアの進め方
突然の転倒による高齢者の股関節骨折は、本人だけでなく家族にとっても大きな不安を伴う出来事です。
しかし、適切な初期対応と手術の選択、そして計画的なリハビリテーションを行うことで、以前に近い生活を取り戻すことは十分に可能です。
この記事では、受診から入院、手術の種類の選び方、リハビリの具体的な流れ、そして退院後の再発を防ぐ環境づくりまでを網羅的に解説します。
正しい知識を持って治療とケアに向き合うことが、回復への近道となります。
目次
股関節骨折の基礎知識と高齢者が折れやすい原因
高齢者の股関節骨折は主に「大腿骨頸部骨折」と「大腿骨転子部骨折」の2種類に分類され、その主たる原因は骨粗鬆症による骨強度の低下と転倒にあります。
股関節は歩行や立ち上がり動作を支える重要な部位であり、ここを骨折すると移動能力が著しく制限されるため、迅速かつ適切な対応が重要です。
適切な初期治療が行われない場合、寝たきり状態を誘発し、認知症や肺炎などの合併症を引き起こすリスクが高まります。
大腿骨頸部骨折と転子部骨折の違いと特徴
股関節の骨折といっても、折れる場所によって治療方針や治りやすさが大きく異なります。
大腿骨(太ももの骨)の脚の付け根部分は、骨盤にはまるボールのような形をした「骨頭」と、そこから続く細い「頸部」、そして太くなる「転子部」に分かれます。
このうち、関節包という袋の内側にある頸部で起こるのが「大腿骨頸部骨折」、外側の転子部で起こるのが「大腿骨転子部骨折」です。
これらの違いを理解することは、その後の治療選択を理解する上で非常に重要です。
骨折部位による症状と治療方針の差異
| 比較項目 | 大腿骨頸部骨折 | 大腿骨転子部骨折 |
|---|---|---|
| 発生部位 | 関節包の内側(大腿骨の首の部分) | 関節包の外側(大腿骨の太い部分) |
| 血流の状態 | 血流が乏しく、骨が壊死しやすい | 血流が豊富で、骨がくっつきやすい |
| 主な症状 | 痛みはあるが、軽度の場合は歩けることもある | 激しい痛みと強い腫れ、内出血が見られる |
| 治療の傾向 | 人工骨頭置換術などが多く検討される | 金具で固定する骨接合術が中心となる |
大腿骨頸部骨折は、骨折部の血流が悪くなりやすいという特徴を持っています。
骨頭への栄養血管が損傷されることが多く、骨が壊死してしまうリスクや、骨が癒合しない(くっつかない)偽関節という状態になる可能性が高いため、人工物に入れ替える手術が選択肢に上がることが多くなります。
一方、大腿骨転子部骨折は血流が豊富な場所での骨折であるため、骨癒合は比較的期待できますが、出血量が多くなりやすく、骨折に伴う全身への負担が大きい傾向にあります。
腫れや皮下出血が目立つのも転子部骨折の特徴です。
骨粗鬆症による骨脆弱化と転倒リスクの関係
高齢者が股関節を骨折する最大の要因は、骨粗鬆症による骨の脆弱化です。骨粗鬆症は、骨の密度がスカスカになり強度が低下する病気で、特に閉経後の女性に多く見られます。
若い人であれば打撲で済むような軽い衝撃でも、骨粗鬆症がある高齢者の場合は簡単に骨折につながってしまいます。
室内でのつまずきや、ベッドから滑り落ちるといった日常の些細な動作がきっかけとなることがほとんどです。
加えて、加齢による運動機能の低下が転倒リスクを増大させます。
筋力の低下、バランス能力の衰え、視力の低下、さらには服用している薬の副作用によるふらつきなどが複合的に重なり、転倒しやすくなります。
骨が脆くなっている状態で転倒し、大転子と呼ばれる大腿骨の外側を床に強打することで、股関節骨折が発生します。
つまり、この骨折は「骨の弱さ」と「転倒しやすさ」の2つの要素が重なった結果として起こるものです。
受傷直後に現れる主な症状と自己判断の危険性
骨折直後の典型的な症状としては、脚の付け根(鼠径部)の激しい痛みにより、立ち上がったり歩いたりすることが困難になります。
仰向けに寝た状態で、患側の足が外側を向いて短くなっているように見える場合もあります。しかし、すべてのケースで激痛が走るわけではありません。
特に大腿骨頸部骨折のヒビが入った程度の場合や、骨が噛み合って安定している場合は、痛みを我慢すれば歩けてしまうこともあります。
「歩けるから骨折ではないだろう」という自己判断は非常に危険です。
無理に動くことで、骨折部分がずれてしまったり(転位)、血管を損傷して状態を悪化させたりする恐れがあります。
高齢者が転倒後に足の付け根やお尻の痛みを訴える場合、あるいは歩き方がおかしいと感じた場合は、ためらわずに医療機関を受診することが大切です。
時間が経ってから診断がつくと、治療の選択肢が狭まり、回復までの期間が長引く原因となります。
診断から入院決定までの流れと家族の役割
迅速な画像診断と全身状態の評価を経て、多くのケースで即座に入院治療が決定されます。家族には医師からの説明に基づく迅速な意思決定と、入院に向けた具体的な準備が求められます。
患者本人が安心して治療に専念できる環境を整えるためには、手続きや生活用品の準備を含めた家族の的確なサポートが回復への第一歩となります。
画像診断による確定診断と全身状態の評価
病院に到着すると、まずは問診と触診を行い、その後レントゲン撮影を行います。
多くの股関節骨折はレントゲン画像で診断がつきますが、骨折線が鮮明でない場合や、微細なヒビが疑われる場合は、CT検査やMRI検査を追加で行います。
特にMRIは、受傷直後のレントゲンでは判別しにくい骨折を早期に発見するのに有用です。これらの画像診断によって、骨折の正確な位置やずれの程度を確認し、治療方針を決定します。
骨折の診断と並行して、全身状態の評価も行います。
高齢者は高血圧、糖尿病、心疾患などの持病(既往歴)を持っていることが多いため、血液検査、心電図、胸部レントゲンなどを行い、手術や麻酔に耐えられる体力があるかを確認します。
また、認知機能の評価も重要です。入院による環境の変化が認知症の症状を悪化させる可能性があるため、事前の把握が必要です。これらの検査結果をもとに、医師は総合的な判断を下します。
手術適応の判断と医師からのインフォームドコンセント
検査結果が出揃うと、医師から本人と家族に対して病状と治療方針の説明(インフォームドコンセント)があります。
股関節骨折の場合、寝たきりを防ぎ、早期に離床して歩行能力を回復させるために、手術療法が第一選択となることが一般的です。
医師は、骨折のタイプに応じた手術方法、手術を行わない場合のリスク(保存療法のリスク)、麻酔の方法、予想される合併症などについて詳しく説明します。
家族はこの説明をよく聞き、疑問点があればその場で確認することが大切です。
例えば、本人の年齢や持病を考慮して手術のリスクが高い場合、それでも手術を行うメリットが上回るのか、といった点について納得いくまで話し合います。
最終的には、本人と家族の意思決定によって治療方針が確定します。手術を行う場合は、同意書への署名が必要となります。
緊急性が高い場合でも、冷静に情報を整理し、本人にとって最善の選択をすることが求められます。
入院手続きの進め方と緊急時に必要な準備物
入院が決まると、事務窓口で入院手続きを行います。保険証や診察券の提示、入院誓約書の記入、連帯保証人の設定などが必要です。
高齢者医療制度や高額療養費制度の利用についても確認しておくと、費用の見通しが立ちやすくなります。
また、看護師からは現在の服用薬やお薬手帳の提出を求められます。これは、手術時に血をサラサラにする薬などを一時的に中止する必要があるか判断するためです。
家族が揃えておくべき入院生活用品リスト
- 現在服用しているすべての薬とお薬手帳
- 着脱が容易な前開きの肌着や下着
- かかとがあり滑りにくいリハビリ用シューズ
- 入れ歯、洗浄剤、保管容器
- 補聴器やメガネなどの身体補助具
- 洗面用具やティッシュペーパーなどの日用品
急な入院となるため、身の回り品の準備も家族の重要な役割です。
病院によってはアメニティセット(パジャマやタオルのレンタル)が利用できる場合もありますが、上記リストにあるような物品は家族が用意する必要があることが多いです。
本人が使い慣れたものや、履きやすい靴などを準備することで、入院生活のストレスを軽減することができます。
できるだけ早い段階でこれらを揃え、病室の環境を整えてあげることが、患者の安心感につながります。
手術療法の種類ごとの特徴と選択基準
骨折のタイプと患者の活動レベルに応じて、「人工骨頭置換術」または「骨接合術」のいずれかが選択されます。
それぞれの術式にはメリットとリスクが存在するため、早期離床による全身機能の維持を最優先しつつ、患者の年齢や骨の状態、認知機能などを総合的に考慮して最適な方法を決定します。
人工骨頭置換術が選択されるケースとメリット
大腿骨頸部骨折で、骨のずれが大きい場合や、骨癒合(骨がくっつくこと)が期待できない場合に選択されるのが「人工骨頭置換術」です。
これは、折れてしまった大腿骨の骨頭部分を取り除き、金属やセラミックでできた人工の骨頭に入れ替える手術です。骨盤側の受け皿(寛骨臼)の状態が良い場合に行われます。
もし、骨盤側の軟骨もすり減っている場合は、受け皿も含めてすべて人工のものにする「人工股関節全置換術」が行われることもあります。
この手術の最大のメリットは、早期のリハビリ開始が可能である点です。
骨がくっつくのを待つ必要がないため、手術直後から痛みが軽減され、翌日や数日後には体重をかけて歩く練習を始めることができます。
その結果、寝たきりによる筋力低下や合併症を防ぐことが可能になります。
一方で、手術による身体への侵襲(出血や手術時間)は骨接合術に比べてやや大きくなる傾向があり、術後に人工関節が外れてしまう「脱臼」のリスクに注意する必要があります。
骨接合術の種類とそれぞれの固定方法
大腿骨転子部骨折や、大腿骨頸部骨折でもずれが少ない場合には、自分の骨を残して金具で固定する「骨接合術」が行われます。
この手術は、骨折した部分を整復(元の位置に戻す)した後、金属製のスクリューやプレート、釘(ネイル)などを使って固定します。
転子部骨折では、大腿骨の中に金属の太い釘を通す「ガンマネイル」などの髄内釘手術が主流です。
頸部骨折では、数本のスクリューで固定する「ハンソンピン」や「CCHS」といった方法が用いられます。
主な術式とその特徴の比較まとめ
| 術式名 | 主な適応 | 特徴・メリット |
|---|---|---|
| 人工骨頭置換術 | 大腿骨頸部骨折(転位あり) | 術後早期から全荷重が可能で、偽関節の心配がない |
| 髄内釘固定術(ガンマネイル等) | 大腿骨転子部骨折 | 小さな傷口で強固に固定でき、手術時間が比較的短い |
| スクリュー固定術(ハンソンピン等) | 大腿骨頸部骨折(転位なし) | 身体への負担が少なく、自分の骨頭を温存できる |
骨接合術のメリットは、自分の骨を温存できることと、手術時間が比較的短く、出血量も抑えられる傾向にあることです。
しかし、骨が完全について強度が出るまでは、患足への体重のかけ方を調整する必要があります。
骨の強度が極端に低い場合、固定した金具が骨を突き破ってしまったり、固定力が弱まって再手術が必要になったりするリスクもあります。
術後のレントゲン経過を見ながら、慎重に荷重を増やしていくことが重要です。
高齢者における麻酔リスクと手術時間の目安
手術を行う上で避けて通れないのが麻酔です。高齢者の場合、全身麻酔または脊椎麻酔(下半身麻酔)が選択されます。
心臓や肺に持病がある場合は、全身への負担を考慮して脊椎麻酔が選ばれることが多いですが、抗凝固薬(血をサラサラにする薬)を服用している場合や、脊椎に変形がある場合は全身麻酔となることもあります。
麻酔科医は患者の状態を詳細に評価し、最も安全な方法を選択します。
手術時間は術式や患者の状態によって異なりますが、一般的に骨接合術では30分から1時間程度、人工骨頭置換術では1時間から1時間半程度が目安となります。
ただし、麻酔導入や覚醒、手術室への移動を含めると、家族が待機する時間はさらに長くなります。高齢者の手術では、術中の血圧変動や呼吸状態の管理が非常に重要です。
医師と医療スタッフは細心の注意を払って手術を行いますが、家族も「リスクゼロの手術はない」という点を理解しておくことが必要です。
保存療法が選択されるケースとその管理
全身状態が極めて悪く手術のリスクが高い場合や、手術を行っても機能改善が見込めない場合には、保存療法が選択されます。
長期の安静が必要となるため、床ずれや肺炎、認知症の進行といった合併症のリスクが高まります。
これらのリスクを最小限に抑えるために、体位変換や口腔ケア、精神的サポートを含めた徹底した全身管理とケアが必要となります。
手術が困難と判断される医学的理由
手術が困難と判断される主な理由は、全身状態の不良です。
例えば、重度の心不全、コントロール不良の糖尿病、重篤な呼吸器疾患、あるいは末期がんなどが併存している場合、手術や麻酔のストレスが生命に関わる危険性があると判断されます。
また、受傷前から既に寝たきりの状態で、手術を行っても離床や歩行の可能性がない場合も、手術のメリットが少ないと考えられ、保存療法の方針となることがあります。
さらに、骨折から長期間経過してしまった陳旧性の骨折や、感染症を併発している場合も手術の適応外となることがあります。
医師は「手術によるメリット」と「手術に伴うリスク」を天秤にかけ、リスクが明らかに上回る場合に保存療法を提案します。
この判断は非常に難しく、家族にとっても受け入れがたい場合がありますが、患者本人の「生命の安全」を最優先に考えた結果の選択であることを理解する必要があります。
安静療法におけるベッド上での管理と牽引
保存療法の基本は、骨折部が動かないように安静を保つことです。場合によっては「牽引療法」といって、患部を引っ張って骨の位置を安定させ、痛みを和らげる処置を行うこともあります。
しかし、数週間から数ヶ月にわたりベッド上で安静に過ごすことは、高齢者にとって過酷な状況です。
骨折部の痛みは徐々に和らぎますが、骨が癒合して体重をかけられるようになるまでには長い期間を要します。
この期間、最も注意すべきは廃用症候群の進行です。筋肉は使わなければ急速に衰え、関節は固くなります(拘縮)。
そのため、ベッド上であっても、可能な範囲で足首を動かす運動や、骨折していない側の手足の運動を行うことが推奨されます。
看護師や理学療法士の指導のもと、痛みの範囲内で少しずつ体を動かし、全身の機能低下を最小限に留める努力を継続します。
早期離床ができないことによる合併症リスク
保存療法の最大のリスクは、長期臥床(寝たきり)による合併症です。
代表的なものに「床ずれ(褥瘡)」、「誤嚥性肺炎」、「尿路感染症」、「深部静脈血栓症(エコノミークラス症候群)」、そして「認知症の進行」があります。
特に高齢者は予備能力が低いため、一度肺炎を起こすと命取りになることもあります。また、環境刺激の少ない病室で天井を見続ける生活は、昼夜逆転やせん妄を引き起こしやすくなります。
これらの合併症を防ぐためには、徹底したケアが必要です。定期的な体位変換で床ずれを防ぎ、口腔ケアで肺炎を予防し、水分摂取を促して脱水や血栓を防ぎます。
家族が面会時に話しかけたり、手を握ったりすることも、患者の精神的な安定や認知機能の維持に役立ちます。
保存療法は「何もしない治療」ではなく、合併症と戦いながら全身管理を行う「積極的なケア」であることを認識することが大切です。
術後のリハビリテーションと回復への道筋
術後翌日から開始されるリハビリテーションは、離床、歩行訓練、そして日常生活動作(ADL)の獲得へと段階的に進められます。
患者の状態や回復スピードに合わせたプログラムが組まれ、急性期病院から回復期リハビリ病棟、そして在宅復帰へと、多職種が連携して切れ目のない支援を行うことが、機能回復の鍵となります。
急性期における離床と基本動作の訓練
手術翌日、あるいは医師の許可が出た時点から、ベッドサイドでのリハビリが始まります。これを急性期リハビリと呼びます。最初の目標は「離床」、つまりベッドから起き上がることです。
長時間寝ていると起立性低血圧を起こしやすいため、まずはベッドの背を起こして座る練習(ギャッジアップ)から始め、次にベッドの端に足を下ろして座る端座位へと進めます。
痛みのコントロールを行いながら、車椅子への乗り移り(移乗動作)の練習も行います。
車椅子に乗ることができれば、トイレに行くことや、病室の外へ出て気分転換をすることが可能になります。
並行して、関節が固くならないように動かす可動域訓練や、筋力が落ちないようにする筋力増強訓練も行います。
この時期は、手術の傷の痛みや全身の疲労感があるため、無理をせず、しかし休まずに少しずつ活動量を増やしていくことが大切です。
回復期リハビリ病棟での集中的な機能回復
急性期病院での治療が一段落し、抜糸が済んで状態が安定してくると、より集中的なリハビリを行うために「回復期リハビリテーション病棟」へ転院することがあります。
ここでは、1日最大3時間のリハビリスタッフによる訓練が提供されます。
理学療法士による歩行訓練だけでなく、作業療法士による更衣や整容動作の練習、必要であれば言語聴覚士による嚥下訓練など、チームアプローチが行われます。
リハビリテーションの進行段階と到達目標
| 段階(時期) | 主な実施内容 | 目指すべき到達目標 |
|---|---|---|
| 術後早期(1〜2週) | ベッド上での関節運動、車椅子への移乗、平行棒内での立ち上がり | 日中は車椅子で過ごし、トイレ移動ができるようになる |
| 回復期前期(1ヶ月〜) | 歩行器や杖を使用した歩行訓練、着替えや入浴動作の練習 | 病棟内を歩行器や杖で自立して移動できる |
| 回復期後期・退院前 | 屋外歩行、階段昇降、調理や掃除などの家事動作訓練 | 自宅環境に応じた応用動作の獲得、退院生活への自信 |
回復期では、病院内での生活すべてがリハビリと考えます。例えば、朝起きて顔を洗い、食堂まで移動して食事を摂り、トイレに行き、夜はパジャマに着替えて寝る。
これらの一連の動作を、できるだけ自分の力で行えるように支援します。スタッフは過剰な介助を避け、患者が持っている能力を最大限に引き出す関わりをします。
家族もリハビリの様子を見学し、介助方法を学ぶことで、退院後の生活への不安を解消していきます。
歩行能力の再獲得と退院に向けた目安
リハビリの最終的なゴールは、患者がその人らしい生活に戻ることです。
歩行能力に関しては、最初は平行棒、次にピックアップ歩行器(持ち上げるタイプ)、キャスター付き歩行器、そして杖へと、道具を変えながら自立度を高めていきます。
どの段階で退院できるかは、自宅の環境や家族のサポート体制によって異なります。
例えば、段差の多い家であれば階段昇降や段差越えのスキルが必要ですし、独居であれば買い物に行けるレベルが求められます。
退院の目安として、屋内を安全に移動できること、トイレ動作が自立していること、そして転倒した場合に自力で起き上がれるか、あるいは緊急通報ができることなどが挙げられます。
完全に受傷前と同じ状態に戻らなくても、介護保険サービスや福祉用具を活用することで、安全に在宅生活を送れる見込みが立てば退院となります。
医師、看護師、リハビリスタッフ、ソーシャルワーカー、ケアマネジャーが連携し、退院後の生活設計をサポートします。
認知症を合併している場合の特別なケア
環境の変化や疼痛は、せん妄やBPSD(認知症の行動・心理症状)を誘発しやすく、治療の妨げになることがあります。
言葉で痛みを訴えられない患者のサインを見逃さず、適切な疼痛コントロールと安心できる環境づくりを行うことが重要です。
また、身体拘束は極力避け、尊厳を守りながら安全を確保する工夫が、認知機能の低下を防ぐためにも必要です。
せん妄の予防と発症時の具体的な対応策
入院直後や手術後に、急に場所がわからなくなったり、幻覚を見たり、興奮したりする状態を「せん妄」と呼びます。
これは環境の変化や身体的ストレスによって脳の機能が一時的に低下することで起こります。認知症がない人でも起こりますが、認知症がある人は特にハイリスクです。
予防のためには、昼夜のリズムを整えることが大切です。昼間はカーテンを開けて日光を入れ、夜は静かな環境を作ります。
もしせん妄が起きてしまった場合、まずはその原因(痛み、尿意、便秘、不安など)を取り除くことが優先です。家族がそばにいて安心させることも効果的です。
使い慣れた写真や時計を置くなどして、安心できる環境を作ります。
興奮が激しく治療に支障が出る場合は、医師の判断で一時的に鎮静効果のある薬を使用することもありますが、これはあくまで対症療法であり、身体の回復とともにせん妄も落ち着いていくことが一般的です。
言葉で痛みを訴えられない場合の観察ポイント
認知症が進行していると、「痛い」と言葉で伝えられないことがあります。
痛みが放置されると、興奮や拒絶、食欲不振につながるため、周囲が痛みのサイン(非言語的サイン)に気づくことが重要です。
リハビリや処置の際に、しかめっ面をする、呼吸が荒くなる、患部を触ろうとする、体を硬くするといった反応が見られた場合、痛みがある可能性が高いと判断します。
痛みのサインを見逃さないためのチェックリスト
- 眉間にしわを寄せたり、歯を食いしばったりする表情
- 「ウー」「アー」といったうめき声や、荒い呼吸
- 患部に触れようとした際の手の振り払いなど、防御的な反応
- 落ち着きがなく、常に体勢を変えようとする動作
- 普段よりも食事が進まない、または水分を拒否する様子
- 血圧の上昇や脈拍の増加などの身体的変化
このようなサインが見られた場合は、無理に動かさず、医師や看護師に伝えて鎮痛剤の調整を行ってもらいます。
また、痛みのない姿勢を探したり、クッションで患部を保護したりするポジショニングも有効です。
上記リストのような変化は、言葉以外で痛みを表現している重要なメッセージであるため、注意深く観察し対応することが求められます。
身体拘束を避けるための環境調整と工夫
点滴を抜いてしまったり、一人で歩こうとして転倒の危険がある場合、医療現場ではやむを得ず身体拘束(抑制)が検討されることがあります。しかし、身体拘束は身体機能の低下や認知症の悪化を招くため、可能な限り避けるべきです。そのためには、点滴や管(ドレーン)を早期に抜去できるような治療計画を立てたり、点滴の針を刺す場所を目立たない位置に変えたりする工夫が行われます。
また、ベッドからの転落を防ぐために、低床ベッドを使用したり、床に衝撃吸収マットを敷いたりする対策も取られます。
センサーマットを設置し、患者が動き出した瞬間にスタッフが駆けつけられるようにするのも一つの方法です。
家族ができることとして、交代で付き添ったり、本人が安心できる音楽をかけたりすることも有効です。病院側と家族が協力し、患者の安全と尊厳を守るための最善策を模索し続ける姿勢が大切です。
退院後の生活環境整備と再骨折の予防
退院はゴールではなく、新たな生活のスタートです。
反対側の股関節を骨折するリスクを低減させるため、住宅改修による転倒予防と、栄養・運動療法による骨強化を継続的に行う必要があります。
また、介護保険サービスを効果的に活用し、家族の介護負担を軽減しながら、安全で持続可能な在宅生活の基盤を整えることが大切です。
住宅改修と福祉用具の導入による転倒防止
日本の家屋には、玄関の上がり框、敷居の段差、畳やカーペットの縁など、高齢者にとって危険な場所が多く存在します。
退院前には、理学療法士やケアマネジャーが自宅を訪問し(家屋調査)、具体的な改修ポイントを提案します。
手すりの設置や段差の解消は、介護保険の住宅改修費支給制度を利用して行うことができます。
場所別に見る効果的な住宅改修と福祉用具
| 場所 | 推奨される改修・用具 | 期待される効果 |
|---|---|---|
| 玄関・廊下 | 手すりの設置、式台の設置、上がり框の段差解消 | 靴の着脱や屋内外の出入りが安定し、つまずきを防ぐ |
| トイレ | L字型手すり、補高便座、開き戸から引き戸への変更 | 立ち座りの動作が楽になり、ドア開閉時の転倒リスクが減る |
| 浴室 | シャワーチェア、浴槽用手すり、滑り止めマット | 濡れた床での滑りを防ぎ、浴槽への出入りを安全にする |
| 寝室・居室 | 介護用ベッド、配線の整理、カーペットの固定 | 起き上がりがスムーズになり、足元の障害物をなくす |
福祉用具の活用も転倒予防に効果的です。
歩行器や杖はもちろん、立ち上がりを補助する手すり、浴室でのシャワーチェアや浴槽内すのこ、トイレの補高便座などを適切に配置することで、動作の負担を減らし安全性を高めます。
特に浴室とトイレは転倒事故が多発する場所であるため、重点的な対策が必要です。環境を身体に合わせることで、本人の「自分でやりたい」という意欲を支えることができます。
継続的な運動習慣と食事による骨強化
退院後もリハビリで獲得した筋力を維持するために、運動習慣を継続することが大切です。
デイサービスやデイケア(通所リハビリ)を利用して専門的な指導を受けたり、自宅でできる簡単な体操(スクワットやかかと上げなど)を日課にしたりします。
散歩は気分転換にもなり、日光を浴びることで骨の形成に必要なビタミンDが体内で合成されるため、一石二鳥の効果があります。
食事面では、骨の材料となるカルシウム、カルシウムの吸収を助けるビタミンD、骨の形成を促すビタミンKを積極的に摂取します。
乳製品、小魚、大豆製品、緑黄色野菜、きのこ類などをバランスよく食事に取り入れます。
しかし、食事だけで十分な栄養素を摂るのが難しい場合や、骨粗鬆症の診断がついている場合は、医師の処方に従い、骨粗鬆症治療薬を継続して服用することが、再骨折予防の要となります。
介護サービスの活用と家族が担うサポート
在宅生活を支えるのは家族だけではありません。介護保険サービスをフル活用し、専門職の力を借りることで、本人と家族双方の生活の質(QOL)を守ることができます。
入浴介助や掃除などの生活援助を行う訪問介護(ヘルパー)、自宅でリハビリを行う訪問リハビリ、看護師が健康管理を行う訪問看護など、多様なサービスがあります。
家族の役割は、すべてを自分たちでやることではなく、本人の状態をよく観察し、変化があればケアマネジャーや医師に報告する「司令塔」としての役割です。
また、本人が「自分でできること」は手を出さずに見守り、「できないこと」だけをさりげなくサポートする姿勢が、本人の自立心を育みます。
介護負担を抱え込みすぎず、ショートステイなどを利用して休息を取ることも、長く介護を続けるためには重要です。
Q&A
骨折前と同じように歩けるようになりますか?
元の歩行能力に戻れるかどうかは、年齢、元々の体力、認知機能、リハビリへの意欲など多くの要因に左右されます。
以前と同じようにスタスタ歩けるようになる方もいれば、杖や歩行器が必要になる方もいます。
大切なのは、「以前と全く同じ」を目指すのではなく、現在の身体機能で安全に移動できる手段を獲得し、生活範囲を維持することです。
入院期間はどのくらいが目安ですか?
病院の機能や地域によって異なりますが、急性期病院での手術と初期リハビリで2〜3週間、その後の回復期リハビリ病院で1〜2ヶ月程度、合計で2〜3ヶ月程度の入院となるケースが一般的です。
ただし、自宅の環境が整っていたり、家族のサポートが手厚かったりする場合は、より早期に退院して通所リハビリなどに切り替えることもあります。
手術をしないとどうなりますか?
手術をしない場合、骨がつくまで長期間のベッド上安静が必要となります。その結果、筋力が著しく低下し、関節が固まり、そのまま寝たきり状態になる可能性が非常に高くなります。
また、肺炎や床ずれなどの合併症を起こしやすく、生命予後にも影響します。特別な事情がない限り、早期離床を目指して手術を行うことが推奨されています。
年齢が高くても手術は可能ですか?
90代や100歳を超える方であっても、手術を行うことは珍しくありません。年齢そのものよりも、心臓や肺などの臓器の機能が保たれているかどうかが判断基準となります。
むしろ高齢であるほど、臥床期間を短くして寝たきりを防ぐために、手術による早期離床の重要性が高まると考えられています。医師はリスクとベネフィットを慎重に評価して判断します。
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